これまでの活動
①マンドリン倶楽部チャリティ演奏会の開催
(目的)
明治大学マンドリン倶楽部の奏でるマンドリンの美しい音色による視覚障がい者の支援と、蓑護施設などでの演奏会(訪問演奏会)体験の実施
【ボランティア・連携先】
- 公財)徳島の盲導犬を育てる会
- 徳島県視覚障害連合会
- 特非)スペシャルオリンピクス日本・徳島
- 特非)あわとも
- 徳島県立視覚支援学校
- JCI Telenetworkers’ Network
(内容)
39年間連続(除くコロナ下の3年間)で明治大学マンドリン倶楽部の演奏会を実施しました。
第31回の演奏会までは主に徳島文化センター(収容数:1,280人)で開催し、その翌日は徳島県内の5つの養護施設や視覚支援学校を毎年1校ずつ訪問して体育館や講堂で「訪問演奏会」を開催しました。
39年間連続(除くコロナ下の3年間)で明治大学マンドリン倶楽部の演奏会を実施しました。何時からか「マンドリン倶楽部の春の演奏会の初回は徳島県からスタート」ということが定着し、第31回の演奏会までは主に徳島文化センター(収容数:1,280人)で開催し、羽ノ浦中学マンドリン倶楽部や視覚障がい者などのボランティア団体などを会場にお招きし、ご一緒にマンドリン演奏会を楽しむとともに活動助成金の贈呈などを行いました。
翌日の午前は徳島県内の5つの養護施設や視覚支援学校を毎年1校ずつ訪問して体育館や講堂で『訪問演奏会』を開催し、関係者や人所者からはとてもよろこばれ毎回テレビのニュース番組やラジオ生放送に倶楽部の学生が出演していました。マンドリン倶楽部の学生からも「とても勉強になった」と好評でした。『訪問演奏会』の夜には羽ノ浦町のコスモホールで「派遣演奏会」を開催しました。羽ノ浦中学には全国有数の「羽ノ浦中学マンドリン倶楽部」があります。この演奏会がご縁で「夏休みに何回か明治大学マンドリン倶楽部と合同練習をさせてもらった」と聞いています。
徳島県では初日から毎年3か所で演奏会を開催していたので、非常にタイトでしたが、学生は4泊5日で徳島に滞在し、次の演奏会に出発するというのが定着していました。「新キャプテンのもとでの校友会との目合わせ的コンサート」として学生と徳島県支部との良い関係がこれまで続いてきました。
那賀町、阿南市コスモホールで演奏会を開催し、各会場ともご来場者にとても喜んでいただいたことを鮮明に覚えています。
特に那賀町演奏会では那賀町が山間部に位置し、日ごろは生(なま)の音楽(おんがく)に親しむ機会が少ないことから町長さんはじめ町役場から全面的なご支援をいただき、那賀町民あげて『明治大学マンドリン倶楽部演奏会』を楽しみました。
「密」を避け、演奏者・来場者も全員マスク姿で県内4会場ーホテル千秋閣、クレーエール(子供食堂)、那賀町、阿南市コスモホールで演奏会を開催し、各会場ともご来場者にとても喜んでいただいたことを鮮明に覚えています。
②明治大学・徳島県・徳島大学、三者包括協定の締結(令和13年11月3日)のコーディネートをおこないました。
(目的)
- 三者包括協定を結ぶことで徳島県の発展に資するとともに「母校明治」の名を挙げる
(効果)
徳島県は農業県に拘わらず、国立の徳島大学に農学部がありませんでした。本協定の締 結がきっかけとなり、明治大学農学部の協力で『徳島大学生物資源産業学部』 が誕生し、本県農業のスマート化が推進されました。
明治大学・徳島県・徳島大学の三者包括協定10周年を記念して、協定締結時の飯泉嘉門第13代全国知事会長、野地澄晴徳島大学前学長、山下一夫鳴門教育大学前学長他関係者各位と県内の農業関係者をお招きし、三者包括協定10周年を振り返りました。
明治大学からは北野大校友会長と竹本田持農学部長(現:教務担当理事)が出席されました。パネルディスカッションでは徳農種苗(株)の井上社長に徳島県を代表する先端農業従事者4名の方をご紹介していただき、各氏ご講演のあとスマート農業や持続可能な農業への取組みなどについてご披露いただき、斬新さに一同驚嘆しました。
③海部郡海陽町『きゅうりタウン構想』の推進
(目的)
- 明治大学農学部のご指導で農業未経験者(移住者)でも就農可能なスマート農法『きゅうり養液栽培』を成功させて移住者の経済基盤を確立し、海陽町への定住を促進するとともにきゆうりの産地としての海陽町のにざわいを復活させる。
(内容・効果)
明治大学農学部の学生は毎年徳島県南の海部郡海陽町に農業実習のため訪れていましたが、それがご縁で、徳島県支部はJAかいふから『きゅうりタウン描想』への協力を依頼されました。それで全国初の「きゅうりの溶液栽培」の明治大学と海陽町のコーディネート役を担い、当時の日高憲三理事長、針谷敏夫農学部長から全面協力を取り付け、海陽町に明治大学農学部のサテライトオフィス(SO)が設置されました。
『きゅうりタウン構想』の主役は県外からの移住者ですが、彼らの海陽町への定住を促進するため北野大校友会長やマンドリン倶楽部の学生も講演会やマンドリン演奏会開催前には常に明治大学農学部のSOを訪ね、地域住民との融和を図っていただきました。
海陽町では毎年全国からの移住者を募集しているが、「きゅうりタウン構想」が始まって10余年が経過したが、「きゅうり塾」で学んだほとんどの方が、就農・定住されている。現在も全国各地からの牒業移住者が後を絶ちません。
「きゅうりタウン構想」における全国初の『きゅうり養液栽培』の成功は明治大学膜学部の池田敬先生や黒川農場の小沢聖先生を中心に指導・実践されましたが、高評価を得て全国各地から多数の農業者や研究者が海陽町に一堂に会し、『全国きゅうり養液栽培サミット』が海陽町で2回開催されました。
④徳島マラソンに東京六大学全校競走部招致を実現(令和元年3月17日)
松本穣先生(明大教授:元競走部部長)には徳島新聞放送会館で2014年8月16日に「ランナーズ、栄光をつかむまでのほめ方・𠮟り方」と題して公開講演会を開催していただきましたが、何といっても明治大学競争部の西監督をはじめ東京六大学の競走部の全監督とランナー12名の徳島マラソン(ペースランナーとして)に参加を実現していただきましたことは徳島県支部といたしまして、心より感謝しています。
徳島マラソン前日には本県の東京六大学校友会による合同歓迎会(約230名)が開催されましたが、松本先生の「根性の作り方」などの基調講演に続き、東京六大学の競走部の全監督と各校選手2名によるパネルディスカッションは非常に勉強になりました。徳島県内で東京六大学各校校歌や応援歌、応援合戦が実現できたことは私たち徳島県に在住している六大学校友にとって大きな“力”を与えてくれました。
徳島マラソン当日には阿波路を駆ける六大学競争部の選手のユニホーム姿に沿道から大きな声援が飛び、徳島を盛り上げて頂き、また、県南では『きゅうりタウン構想』で明治大学の名が浸透してきましたが、なお一層“明治”の名を高めるために海部風流(ふる)マラソンにも2度も明治大学競争部の選手にご参加いただきました。
【徳島マラソン参加回数】
初回:2013年松本穣部長・明治大学競走部選手2名で始まりました。
明治大学7回 早稲田大学5回 法政大学4回 東京大学3回 立教大学2 回 慶応大学2回 (各校:連続参加)
⑤三木武夫先生・睦子夫人を偲ぶ会 三木武夫先生 25回忌・30回忌
平成24年12月22日(2012年)、徳島市内の阿波観光ホテルで『三木武夫先生と陸子夫人を偲ぶ会』を挙行しました。この年は7月31日に睦子夫人がご逝去され、また三木武夫先生の25回忌にあたることから、「誰か発起人になって偲ぶ会を開催してくれないかなぁ」と思っていました。あまりに偉大すぎて年末になってもその気配がないので僭越ですが、徳島県支部が偉大なる先輩ご夫妻のために『偲ぶ会』を開催させていただきました。費用についても『三木武夫先生と陸子夫人を偲ぶ会』の開催を知った三木先生ご夫妻にお世話になった方からに負うところが多く、ほとんど徳島県支部の負担はなく、改めて三木武夫先生ご夫妻のご人徳に敬意を表す次第でした。
明治大学関係者はもちろん、三木先生ご次男の三木格氏、ご親戚の三木洋一氏、三木先生のお墓を守ってくださっている校友でご親戚での樫原伸さん始め、土成中央公園の三木先生の銅像製作者で県美術協会会長の河崎良行先生を筆頭に党派を超えた国会議員や県会議員、市町村長など約200名のご出席を賜りました。三木先生の地元の阿波市(旧板野郡土成町)からはマイクロバスで多数駆けつけてくださり、徳島県内では三木武夫先生がご逝去されてから初めて開催された『偲ぶ会』となりました。
平成30年11月23日(2018年)、徳島市内の阿波観光ホテルで『三木武
夫先生と陸子夫人を偲ぶ会』を挙行しました。ご次男の三木格氏と奥様が親族代表として前日菩提寺-神宮寺を墓参し、会場に東京からお越しになりました。ご来賓として飯泉嘉門徳島県知事、藤井阿波市長、西川元小松島市長、明治大学からは日高憲三前理事長はじめ多数の関係者がご出席されました。
村山富市第81代内閣総理大臣・明治大学校友会名誉顧問から「三木武夫先生と睦子夫人との思いで」と直筆のメッセージと「人を幸せにする人が幸せになる 平成30年11月23日九十四歳 村山富市」との大書きの書が届き、祭壇に飾らせていただきました。
そのあとの講演会では日高憲三前理事長が「三木武夫先生と睦子夫人の思い出」と題し、熱く語っていただきました。
また、明治大学政治経済学部助教の竹内桂先生から「三木武夫の足跡を3つの視点から振り返る―戦後政治・徳島・明治大学」と題したご講演をいただき、ご生前の三木先生のご謦咳に接することができました。
ご来賓の代表献花のあと約250名からご献花をいただき、三木先生の次男三木格氏から親族を代表して謝辞により第一部の式典が終了しました。
第二部『直会』が明治大学の小西徳應政治経済学部長のご挨拶と献杯で始まりました。今回も三木先生の地元の土成町はじめたくさんの方がご参集くださり、三木先生や睦子夫人のご著書や陶芸、西川元小松島市長の「阿波戦争」などのご著書や県内各地より持参していただいた貴重なお品、懐かしいお写真などがや展示されました。
第1回目の「しのぶ会」と異なったことは、この『偲ぶ会』(30回忌)
で徳島県支部が主催するのを一区切りとするために、日高理事長はじめ明治大学関係者が東京から多数ご出席いただいたことです。
また村山富市先生からは心温まるメッセージとご揮毫をいただき、「明治大学の生んだ二人の総理が徳島の地でお会いした…」と考えると…感謝に堪えません。
⑥北野大先生講演会「北野家の訓え」「高校生に語る北野家の訓え」他
北野大校友会長と徳島県支部のご縁は2011年8月15日の公開講演会「―明治大学創立130周年記念 北野大(まさる)教授公開講演会」と銘打ち、徳島駅前のクレメントビルから高さ14メートルの大きな懸垂幕をたらして北野先生の講演会を周知し、徳島新聞社の大ホール(定員400名)で開催したことから始まります。
当時、クレメントビルはJR四国が所有しており、宣伝用の懸垂幕はすべてシャットアウト。「明治大学」「北野先生講演会」ということで例外的に懸垂幕使用のお許しをJR四国本社から得ました。
徳島新聞社の7F大ホールは定員が400名です。徳島新聞社が「先着400名」で募集したところ、なんと1日半で応募者が800人余りもあり、抽選で400名を選びました。因みにこれまでの最高は瀬戸内寂聴さんでちょうど400名の応募者があったということです。
講演会の題目は「北野家の訓え」です。当時の飯泉嘉門徳島県知事や徳島大学の野地澄晴学長もお越しになりました。
講演会終了後、「明大連」で阿波踊りをおどる予定だったので「明治大学」と白地に紫紺で染めた阿波踊りのゆかた姿での講演会となりました。きっとこれまで浴衣姿の講演会は全国で初めてではないでしょうか。「足の裾がスースーする」と言われていたのを思い出します。
三木武夫総理の故郷、阿波市土成町や県南の海陽町、県下一円で講演会を開催していただき、また県立海部高校では「高校生に語る北野家の訓え」として高校生に明治大学をPRしていただきました。
その後、2016年12月にNHKで放映されました北野家のファミリーヒストリーで明かされましたように「『北野家のルーツ』は徳島だ」ということでいよいよご縁を深く感じています。
⑦阿利美咲応援団(パラリンピック東京大会)
阿利美咲さんは東京パラリンピックの陸上1,500メートル競技のアスリートです。美咲さんの妹さんが明治大学の校友であり、お母様が父母会で活動していたことから美咲さんが「東京パラリンピック出場」を目指していることを知り、美咲さん応援のために「阿利美咲応援団」を結成し、2年間の募金活動を行いました。応援団員登録者は284人、支援団体45団体。募金額204万円でした。
⑧阿波を盛り上げる泡盛の会の立ち上げと参加(平成22年4月2日)
リーマンショックで銀行の貸し剥がしや貸し渋りが表面化し、自営業の多い徳島県支部は多数の校友から「会社が大変だから、校友会に出ていけん。どないぞして!!」と相談を受けていました。
それと前後して、沖縄の酒造組合から「徳島に『泡盛の会』を立ち上げてほしい」との依頼が知人を通じ笠井幹事長(現:支部長)にありました。笠井幹事長は早速、埴渕一夫氏(校友・会社社長)に相談し、「明治大学校友会徳島県支部の校友を核とした組織をつくろう」ということになりました。
沖縄の『泡盛』を味わいながら、ほろ酔い気分で交流を図る全県下・全職種の経営者を会員とした大々的な“名刺交換会”、『阿波を盛り上げる泡盛の会』を沖縄通の柴田さんに側面からのサポートをお願いし、立ち上げることにしました。
当時の飯泉嘉門徳島県知事、徳島大学、鳴門教育大学の学長は皆勤賞で、徳島文理大学の村崎理事長は毎回エイサ一部を派遺してくださり、泡盛の会を盛り上げてくださいました。会長には松尾敬次弁護士(元目弁連副会長)に就任していただき、校友会からは当時の阿部頼孝支部長と埴渕一夫会計理事が副会長、そして笠井栄二幹事長が泡盛の会でも幹事長に就きました。
徳島新聞、四国放送、阿波銀行・阿波銀リースはじめ各銀行・金融関係のトップが一堂に集い、「リーマンショックなどの経済危機でも各方面のトップと直接連絡がとることができる」、とても有意義な会が立ちあがりました。
設立記念の第一回『阿波を盛り上げる泡盛の会』には当時の仲井間知事局の副知事である安里氏が突然徳島県の商標入りの大きな壺屋焼(三升以上入る)の壺に泡盛を満たしてお祝いに駆けつけてくれました。
当時、徳島県は飯泉嘉門知事一ご尊父が明治大学校友ーでしたが、沖縄から安里副知事がお越しになることを告げると、「それは、それは!」と仰って当日、徳島県の部長他数名で会場に徳島県特産の藍染製品をいっぱい持ってかけつけてくれました。これで『阿波を盛り上げる泡盛の会』は徳島県では正式なイベントと認知されました。
沖縄県と本県の交流のため年2回、6月と12月に定期的に開催し、2年に1度の割合で都合4回ほど沖縄戦線の徳島県ゆかりの地を慰霊のため訪問しました。その様子は毎回地元の徳島新聞はもちろん琉球新報や沖縄タイムスでも大きく取り上げられました。
最盛期の会員数は約650名。新型コロナを経て第21回『阿波を盛り上げる泡盛の会』(令和5年12月)をもって「阿波を盛り上げる泡盛の会青年部」へ移管しました。 移管時の会員は約450名でした。
明治大学校友会福島県支部と『姉妹支部友好協定書』を締結。
令和7年6月14日紫紺館(校友会館)で北野大明治大学校友会長立会いの下、明治大学校友会増子眞也相談役のご発案で“福島”・“徳島”の『島・島』姉妹支部友好協定を結ばせていただきました。
福島県支部とのご縁は2011年3月11日の東日本大震災時に徳島県支部から福島・宮城・岩手の3県に心ばかりのお見舞をしたことから始まります。当時の野田支部長と増子氏がわざわざ2013年3月のマンドリン演奏会に合わせて徳島におこしになり、会場の皆様の前で大震災時のお礼を述べてくれました。
その当時から増子相談役は徳島県支部のことをお気にかけてくださり、来年の全国校友徳島大会を応援しようと『姉妹支部友好協定書』締結の音頭を取っていただいたものと県支部一同感謝しております。
⑧三木武夫先生墓参と「明治大学連」
明治大学の阿波踊り「明大連」の始まりは50数年前に今年ご逝去された阿部頼孝名誉支部長が徳島県人寮の学生たちと一緒に組織したと認識していますが、その後は明治大学徳島県父母会が明治大学の在校生に呼びかけ企画・運営していました。それでその中に阿波踊りの好きな校友が阿部さんを含めて毎年4名程度が参加していました。
それが突然、2008年の8月14日に当時の納谷廣美学長が三木武夫先生の墓参の翌日に「明治大学連」に参加されるということで、私たち徳島県支部はあわてて高張提灯を新調し、徳島県支部役員を中心に多数の校友が「明治大学連」で踊りました。この時から阿波踊りの実質の運営者が父母会から校友会に変わり、現在までこの体制が続いています。
その翌年には日高憲三理事長が理事長就任後初めて三木先生の墓参をされ、翌日「明治大学連」に参加される―ということで、このコースがパターン化され、多くの校友が「明治大学連」に結集するようになりました。
さらにその翌年です。なんと村山富市元総理が8月14日~16日まで大分から墓参のためご来県されました。笠井栄二幹事長(現:支部長)から聞いた話ですが、徳島空港にお迎えに行くとなんと村山先生は一番先に出てこられ、そのあとを機長がかばんを持ってやってきました。これは後で分かったことですが、村山先生は前日に福岡でご一泊なされたそうです。私が先生のかばんを機長から受け取ると「いい。いい」と仰ってご自分でかばんを持って、私が「お疲れになったでしょう。千秋閣(徳島市内ホテル)にご案内します」と言うと「笠井さん、徳島へ入る前に三木先生のお墓参りをお願いします」と仰られ、三木先生の菩提寺-神宮寺(阿波市・土成町)へ向かうことになりました。徳島空港から神宮寺までは約1時間かかり、墓参を終えて徳島到着が夕方近くになりました。それにしても本当にすごい!! 墓参を終えてから初めて徳島入りする…。
その翌日の徳島新聞では村山先生の墓参の様子が写真入りで『党派を越えて』という見出しで大きく報じられました。自民党と社会党の党首、まさに党派を越えた明治大学の先輩と後輩…。
村山先生は夕方から校友や学生たちに交じり、「明治大学連」で紺屋町と両国橋の2つの桟敷で踊られました。両桟敷とも明治大学連で村山先生が踊られていることが大きくアナウンスされ、大歓声が沸きました。日高憲三理事長・中村義行理事や金印の小林一光先輩それに事務局の方もご一緒に踊られていましたが、「笠井さん、村山先生お疲れだから……」と何度も言われ、村山先生にお尋ねしたら、「楽しい。まだまだ」と言われ長い桟敷を踊りきられました。
村山富市先生、89歳の夏です。本当に勉強をさせていただき、ありがとうございました。
2011年からは北野大先生、向殿政男名誉顧問など大勢の理事や明治大学関係者がご来県され、「明治大学連」で徳島の夏を盛り上げてくださっています。
一昨年は韓国から嚴さんご夫妻がお越しになりましたが、生憎の悪天候で阿波踊りを踊ることはできませんでしたが、明大連の浴衣に着替え、飯泉嘉門前知事と仁木博文衆議院議員も駆けつけてくださり、明大連の浴衣姿で迫力には欠けますが、ホテル内で「阿波踊り教室」を開いてご一緒に楽しみました。
今年(2025年)の阿波踊りは天候に恵まれ、校友・「徳島県支部を応援する会」・スペシャルオリンピクス・徳島の盲導犬を育てる会の会長、それに「応援する会」の仁木博文厚労副大臣と飯泉嘉門前知事も明大連の浴衣で踊ってくださいました。桟敷からは「あれぇー仁木さんも飯泉さんも明治だったんじゃ」との声も聞かれました。実はお二人とも東大です。