徳島県支部設立の過程

明治大学校友会について(明治大学HPより抜粋)

明治大学は1881年に創立されましたが、明治大学校友会は5年後の1886年に第一回校友総会が開催され「明治大学を賛助し、会員相互の親睦を図る」ことを目的に正式に発足しました。現在では校友60万人を擁する大組織となっています。

現在は「明治はひとつ」をスローガンに、母校発展・充実に寄与し後に続く学生が各人の夢を実現し社会に貢献できるように、また会の発展のために活動を続けています。

校友会は2003年4月に組織改革を断行し、「大学支援・大学賛助」という明確な方針を打ち出し、校友会本部役員等人事を決定し『新生校友会』として、新たなスタートを切りました。現在、全国に54県単位支部と傘下に224地域支部、海外に2(韓国・台湾)支部が組織されています。

徳島県明治大学校友会の設立と第一回明治大学マンドリン倶楽部徳島チャリティ演奏会

私たち徳島県の明治大学校友会は現在から約45年前に同窓会組織として横田勝行氏や信田正義氏を中心に設立の動きがあったようです。

当時は明治大学の大先輩である三木武夫先生が徳島県選出の衆議院議員として中央政界でご活躍されていました。それで三木先生の準後援会組織として「徳島県明治大学校友会」(以下:徳島校友会)を設立しようとする動きもあり、校友以外の三木武夫先生支援者の方も数名、徳島校友会に参加していたと聞いております。

当時の徳島校友会は予算がなく、校友と連絡をとるにもハガキ代にも事欠いていた状態で、三木事務所からハガキ代をカンパしていただいたこともあったようです。

初代徳島校友会長の横田勝行氏や副会長の信田正義氏はその状況を苦慮し、諸費用を全国的に有名な『明治大学マンドリン倶楽部』を招き、収益の一部で賄おうと考えました。そこでマンドリン倶楽部に在籍したことのある久岡克佳氏にマンドリン演奏会の実行委員長の依頼をしたそうです。

久岡氏は初代実行委員長を引き受けるにあたり3つの条件を出しました。

  • ①実行委員長は毎年変わること

    毎年実行委員長が変わることにより、徳島県明治大学校友会の活動の中心となる校友が毎年一人ずつ増えていくことになり組織が活性化する。

  • ②ボランティア(チャリティ)をすること

    収益金の一部で山間過疎の学校へ楽器を贈るなど、何らかのボランティア(チャリティ)活動を行うこと。

  • ③赤字をださないこと

    赤字を出せば実行委員長や役員の責任問題などが発生し、校友間の連帯意識が希薄になり、校友会自体の存続が危うくなるので絶対「赤字を出してはいけない」ということ。

第9回以降の『明治大学マンドリン倶楽部チャリティ演奏会』(笠井支部長談)

私は当時地元の経済連(現全農徳島県本部)に勤めており、職場にはJA 明大OB会という18名ほどの組織がありました。

今から31年前、「徳島県明大校友会」の支部総会に初めて出席しました。その折、当時の阿部幹事長(前支部長・名誉支部長)から「第10回目のマンドリン演奏会を記念大会にして一度やめようと思う。10回目の実行委員長は既に決まっているけど、第9回目がいない。やってくれないか」との依頼を受けました。一端JA 明大OB会に持ち帰ることになり、皆で相談した結果、JA明大OB会全体で引き受けようと」いうことになり、先輩部長に実行委員長をお願いし私が幹事長を引き受けることになりました。30余年間に及ぶ明治大学校友会とのお付き合いの始まりです。

第9回『明治大学マンドリン倶楽部徳島チャリティ演奏会』の特徴は

  • ①1月17日に発生した『阪神淡路大震災』の募金や明大グッズの販売(45万円分を明大サポートから購入) 収益金の寄付。
  • ②徳島の盲導犬を育てる会・ライトホーム(視覚障がいの子供たち)のご招待と活動助成金の贈呈
  • ③書き損じのはがきや切手を会場で収集・寄贈(視覚障害連合会へ)

など久岡先輩のご意志の反映に努めました。

演奏会が終了し、学生との懇親会の場で横田会長が「今日のマンドリン演奏会はよかった。長年マンドリン演奏会をやってきて、僻地の学校への楽器の贈呈などのボランティア活動などもやってきたが、ご来場の方の収益金の一部なので何となく…。今日は皆さんにはっきりお礼が言えて気持ちがすっきりした」と大変喜んでいただいたいたことを覚えています。

また、徳島の盲導犬を育てる会の武久一郎理事長からは、「徳島で舞台へ盲導犬を連れたユーザーの方が上がったのは初めてです。そのうえ助成金を頂き…。」との心からの謝辞がありました。

当時は徳島に盲導犬は1頭しかいませんでしたが、私が徳島新聞で「東京行き夜行バスの盲導犬乗車拒否」の記事と遭遇したのがおつきあいの始まりでした。徳島の盲導犬を育てる会は公益財団法人としてご活躍しており、現在も「明治大学校友会徳島県支部を応援する会」の主力メンバーとして一緒に活動しています。

第9回のマンドリン演奏会から視覚障がいとマンドリンの繊細でかつ強弱のある美しい音色にスポットをあてたボランティア活動をしてきましたが、第15回の演奏会からは知的障がい者のスポーツによる社会復帰を目指すスペシャルオリンピクス日本・徳島、第18回目以降は視覚障がい者と一緒に走る「あわとも」・自宅就労でパソコンを中心とした業務の提供で社会復帰を目指しているjcitelenetworkなど様々な団体の方とマンドリン演奏会を楽しんできました。

「もうあと一回、もうあと一回」と先輩方におだてられ、気がつけばマンドリン演奏会はコロナ禍3年間を除く39年間連続で開催することができ、「徳島の春は明大マンドリンから」といわれるくらい、徳島の風物詩として明治大学のマンドリン演奏会は定着しました。

校友会活動ゃマンドリン演奏会でご指導・ご協力を頂いた横田会長・信田副会長・久岡克佳先輩や多くの先輩方は既に故人となられていましたが、第36回、第37回、第38回の演奏会は新型コロナの蔓延で開催することができず、この3年の間に長年校友会徳島県支部を支えてくださった役員の方が大勢ご逝去され、本当に残念な思いをさせられました。

一昨年、明大マンドリン倶楽部は創部100周年を迎えました。新型コロナの影響が薄らいだとはいえ演奏会開催に多少の無理がありましたが、マンドリン倶楽部の地位を大きく高められた甲斐靖文先生をお迎えし、徳島で100回記念演奏会を祝おうと思い、徳島県下4か所で第39回『明治大学マンドリン倶楽部徳島チャリティ演奏会』を開催致しました。

久しぶりの演奏会で徳島県の方には非常に喜んで頂けましたが、コロナ禍3年間のブランクの大きさは演奏会にも大きな影を落とす結果となり、昨年からは一端休止させていただきました。

もう一度体制を整え、徳島の春は「明治大学マンドリン倶楽部徳島チャリティ演奏会から…」というフレーズで39年間連続で開催をしてきました春の風物詩『明治大学マンドリン倶楽部チャリティ演奏会』を復活したいと思っています。